佐野市秀郷祭りに行ってみた!

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※この記事は岩田が書いています。

佐野市の歴史が詰まった・さの秀郷まつり

こんにちは!岩田です。

さて、お祭り好きでもない僕が8月11日、12日と佐野の秀郷(ひでさと)祭りに行ってみました。なぜなら余りにも近所でのお祭りなので、まぁまぁ行ってみようかと。

秀郷祭りって?と思うと思いますが、祭りは祭りでも秀郷と付くのが気になりますよね?

ちょっと調べてみました!

秀郷公のムカデ退治伝説

昔、下野の国において勢力を保持し、現栃木県佐野市の唐沢山に城を築いた
藤原秀郷(ふじわらのひでさと)にちなんだお祭りのようです。

歴史が苦手な僕にとっては、ただただそうなんだ!と思ってしまうところ。

その秀郷は武芸が得意だったらしく、弓術の達人だったと言われているようです。

平将門を滅ぼし、ムカデ退治の
伝説にも名を残しているんだそう。

平将門なら僕も学校の授業で習った記憶があります。

そんな由来から祭りでは流鏑馬(やぶさめ)なんかも披露されてました!

そして気になるムカデ退治の伝説です。

瀬田の唐橋に大蛇が横たわっていたために人々は怖くて橋を渡れなかったそうな。
しかし、そこを通りかかった一人の武士が臆することなく、大蛇を踏みつけ歩き渡った
勇敢な武士が秀郷公だったとか。

その夜、美しい娘が秀郷公を訪ねてきた。
「私は昼間の大蛇で琵琶湖の底に住む
竜神一族です。三上山の大ムカデの退治
をしてくださる勇敢な方を待っていたのです。」と秀郷公にムカデ退治を懇願して
きたそうな。

三上山の大ムカデとは山を七巻もする怪物で、麓の村々の人々が襲われて困っているということでした。

秀郷公はこのムカデ退治を 快諾し。得意の弓で三上山の大ムカデに挑みにいきました。

とうとう最後の矢となった時、大ムカデの急所を突き退治することがてきたそうな。

竜神の娘がお礼にと米が尽きない米俵や食べ物が溢れてくる鍋、切っても減らない
布地、美しい音色の釣鐘などが贈られたそうな。

秀郷は米が尽きない米俵にちなみ俵藤太秀郷と呼ばれるようにもなったそう。

そして釣鐘については大津の三井寺に奉納されたというお話しです。

調べてみるとだいぶ深い内容でした。

さて、何を食べようか!

そしてそしてお祭りの方ですが神輿や出店、太鼓などまぁたくさん催しをやっていました。
僕の目的はやはり第一に出店で何を食べるか?

そんな出店を見て回っているとたくさんの煌びやかな輝きの神輿が目の前に!
写真を撮ってしまいました。

綺麗ですね!

神輿の上には男性が乗ったり女性だったり、子供だったりと大変、盛り上がっていました。

僕はお神輿を見ながら大阪焼き焼きそば、いもフライを楽しむ
ただの食いしん坊でした。

また、ステージのある会場では佐野市のご当地アイドルの佐野ブランドールやSKE48の福士奈央さんがきていましたね!

アイドルには全く興味はないのですが福士奈央さんはどうやら佐野市出身のようです。

このような佐野市の秀郷まつりですが祭りの由来などを調べてみると、また違った楽しみ方ができるかもしれませんね。

是非、みなさんもそんな祭りの楽しみ方してみてはいかがでしょうか?

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